コラム

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「わたしの一枚」ってどんな写真?

家族写真や卒業アルバム、何気なくとったスナップ写真など…時が経つほど大切になる写真。
日頃からお客さまの思い出づくりのお手伝いをしている写真館のみなさんに尋ねました。
「わたしの一枚」ってどんな写真?

父の写真、私の系譜

「待望の男の子誕生!」という父の思いが伝わってきます。

 

 私の生後まもない昭和21年6月頃の写真です。当時村役場に勤務していた父は写真が趣味で、戦後すぐの時期で大変だったと思いますが沢山の写真を残してくれました。
 父は昭和27年4月に小さなDPE、カメラ、スタジオの兼業店を開きました。当時地元の日本毛織の加古川工場には多くの女工さんが働いておられました。何事にも積極的でアイデアマンだった父は、その人たちを相手に、「自分で自分を写せるセルフフォート」を開発しました。それは全身が写る大きな鏡台の真ん中に丸い穴を開け後ろにカメラを設置し長いレリーズでお客様が自分で好きなポーズ、表情を写すという物です。日曜日ともなると門前市を成すほど大勢の人が来てくれたそうです。村や町の色んな行事の写真などのロケーションもよく写していましたが、婚礼やお宮参りなどのスタジオでの記念写真は今一つだったようです。
 そんな中、私は北海道北見市の福田先生のところで数年間修業させて頂きました。ポーズつけ、ライティング、表情の誘導、声掛け、シャッタ-チャンス、暗室、修整作業、すごいの一言でした。出来上がりの写真を引き取りに来られた方のほぼ全員が「うわー良く写ってる」「上手だとは聞いてたがこんなに上手だとは思わなかった」と大変喜ばれました。色々と本当に素晴らしい体験をさせて頂いて父の元に帰り、父のあまり得意でなかったスタジオでの記念写真に力を入れました。
 そして昭和58年に婚礼写真前写しを1日3組以上を撮影出来るように、スタジオ3面、広いロビー、着付け室4部屋、60坪の3階建て(計180坪)、駐車スペース8台を備えたビルを構えました。お客様も社員も増え、成人記念とお宮参りの撮影も増え、お陰様で現在もカメラマンとして現役で続けさせて頂いています。
 今ではデジタルになり、立体バックを使った多ポーズ撮影、野外でのロケーション等々が時代の主流となりました。父が現役であれば、すごく活躍していたと思います。
 「わたしの1枚」の写真と原稿のご依頼を頂き、どの写真にするか迷いに迷って締切間際に決定、父のことを思い出しながらなんとか完成しました。
 この仕事について50年。来年古希を迎えます。60数年前、公務員の地位をなげうってこの楽しく仕事が出来る「写真の双葉」という店を立ち上げてくれた父に感謝の日々でございます。

山田 和成
兵庫県加古川市
写真の双葉